意味ある支援

気が付けば2017年ももうすぐ終わろうとしています。


人間であれば、当然の事ですが得手不得手があります。しかし職場であれば個人の好き嫌いに関係なく業務を遂行していかなくてはならない場面が殆どです。
一昔前は比較的一つの作業を担当し、それを日々淡々とこなしていけば仕事として成立しているかのように見えた時代もありましたが、今はそのような「作業」だけをしていれば良いと言うような職種は減り、臨機応変さが求められたり、担当外の突発的な仕事に柔軟に対応したり調整したりという能力が求められるようになってきています。
将来的な推測を言えば、「作業」は人工知能に取って代わり、「作業」だけの人間は必要無くなる時代がすぐそこまで来ているのだと思います。

それに加え、職場では様々な価値観の人が居ます。自分の役職や立場に応じた仕事を求められる中で、色々な葛藤を抱え、精神的に辛くなり体調を崩していく人も増えています。
しかし近年、メンタルヘルス対策が進んできており、4つのケア(労働安全衛生法に基づく『労働者の心の健康の保持増進のための指針』)を具体的に進めておられる企業様も数年前に比べて多くなってきたのではないかとも感じています。

 

その様な状況の中「事業場外資源によるケア」業務に携わる立場として、働く方々の支援で私が最も大切にしていることは「対等」です。

 

支援現場に長く居ると、支援の対象者の方々に対等感を失い、あたかも上下関係があるかのように振る舞う支援者が居ることは事実です。
もちろん仕事としてアセスメント(課題分析)やプランニング(支援計画策定)・インターベンション(介入)、モニタリング(経過観察)、エバリューション(評価)等の相談援助の過程に沿いながら遂行していくわけですが、その上で支援者と利用者の関係性は一環して「対等」である事が大変重要だと考えます。

 

インターベンションやモニタリングの段階では、支援者は最も神経を研ぎ澄ます段階で、支援を受ける方一人一人に応じた対応を実施していく必要があります。

誰一人として同じ支援を必要としていません。

その際、支援者として関わる一つ一つの行動・言動が、その方々の目的に沿っているかどうかしっかりと把握してこその行動・言動でなければなりません。また、その支援者としてその方法を取る「意味」までしっかりと支援者自身が捉えた上でのものであるかどうか、そこまで神経を研ぎ澄ます段階だと思います。

それに加え、支援者は対象者の方々と同じく「労働者」であることの意識を私は大切にしています。
指示、でも指導、でも教育、でもなく、あくまで支援です。


その方に聴き、なぜそのように考えるのか、なぜそのようなコミュニケーションの方法に至るのか、傾聴の姿勢を基本とした関わりを大事にし、一緒に意味を考え、共有し、選択していくことを重要視します。
傾聴なくして対等な支援は有り得ません。

 

もちろん、背景に特別な事情を抱えた方、病気や障害をお持ちの方、いらっしゃいます。
しかし支援する上では、同じ労働者には変わりないですし、対等感は絶対条件です。
不必要にレッテル張りをしたり自己満足の支援をする事の無いように肝に銘じています。

 

支援者はチームで動く場合も多いと思います。その様な場合、なかなか立場の違いで「意味」の共有ができない事もあると思います。
そのような時は「作業」や「目的」でしか動けなくなる時もあります。
そう言った時には、サービスの低下につながる危険性をを感じながらも、自分の出来る範囲を模索するというのも一つの手段であるような気もします。支援者達のエゴによって対象者の方々へやみくもな負担をかける危険性が無いような選択をすると言う意味です。
どのようなレベルのサービスにある時でも「対等」を忘れずに支援したいと考えています。


職業場面で「作業」をする人間が必要無くなるように、支援者も一律の「作業」を行う人間は選ばれなくなるということを自分自身、労働者としての危機感を覚えながら業務に携わるようにしています。
あと10年以内…8年後くらいに、多くの企業で急激に統廃合が進み、支援を必要とする方々も大きく様変わりするのではないかと予想します。
産業領域で支援業務に携わる身として、この時代の流れの速さについていけているのか、支援を仕事とする者として生き残れるのか不安になる時もあります。
しかし、自分の仕事に誇りを持ち、質の高い「意味」ある支援を目指して生きたいと精進する今日この頃です。